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大澤寛のタンゴ訳詞集

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    「El Once」(11番街)
    Letra : Emilio Fresedo (1893-1974)                  
    Música : Osvaldo Fresedo (1897-1984)

    あなたの悩みが風に乗って拡がらないようにしなさい
    聞く人にしてみれば他人事なのだから そうでしょう
    誰かが手を差し延べて悩みを和らげてくれることなど願わないことです
    ただ“可哀そう”と言われるだけで 後は“それだけ”なのだから
    だからわたしは楽しむのです 悩みたくないのです
    人生を苦いものにする嘆きを聞きたくないのです
    そんな嘆きが消えてしまって 何もかも癒してくれる忘却が来ることを
    望むのです それが一番良いことなのですから

    安らぎを求めるのなら 泣いてはいけません
    強くなる術を学びなさい 苦しみを殺しなさい
    お酒を飲んで微笑みなさい
    あなたの心が愛を求めて踊り出すように
    葉巻の煙や 酒場の灯り 漂う雰囲気が
    忘れさせてくれるから
    あなたの傍にも 遊び心を持った
    そんな生き方をする人たちが 居るかもしれない

    みんな黙っていないで楽しむのです
    たとえほんの僅かの間でも 一緒に歌うために
    覚えて置きなさい 人生に何か値打ちのあるものがあるとすれば
    それは人生をより楽しむ人のものです
    楽しいものを見て 悪い方にものを考えないことです
    あなたの顔のしわが寄るのを早めてはいけません
    何事もなるがままにして 歳をとるのを急がないように
    あなたが感じたことなど 他の誰にも関係ないのだから

    邦訳:大澤 寛

    (Enrique Santos Discépolo の生まれた町の名がEl Once. この曲は彼に捧げられたものという。 出典:LP “Tango argentino” Atilio Stampone & his orquestra AFLP 1880 の曲目解説・英文)

    匿名
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    上記 「El once」 末尾のメモを削除します。同名異曲に関するメモを掲載しておりました。

    匿名
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    「El patotero* sentimental」(1922)
    Letra : Manuel Romero (1891-191954) Música : Manuel Jovés (1886-1927)

    patotero* は (街をうろつく) “若いごろつき・不良・与太者” だが、いい家庭の出のいわゆる ”niño bien”= “いい家の子・金持ちの家の子” の意味だった。しかしもはや現代の話ではない。とりあえずカタカナでパトテロとして置く。

    パトテロ 踊りの王(キング)
    ひどく泣きたい気持ちを
    笑顔に隠す
    センチメンタルなパトテロ
    歳月は もう過ぎて行くけど
    俺の胸には 愛は生まれなかった
    遊び相手の女の子は沢山いたが
    人生で伴侶になる女はいなかった

    2-3杯余計に飲むと
    俺の胸には あの誠実な女の
    思い出が浮かんで来る
    本気で俺を愛してくれた
    俺が無情に捨てた女の

    あの愛を 俺は嘲った
    後で悔やむことも考えずに
    歳月は 過ぎ行くにつれて
    このキャバレーの王(キング)を
    残酷に苦しめることも知らずに

    可哀そうだった どんなに泣いただろう
    分別を無くした俺に 捨てられた時
    悪仲間たちが俺を見ていた
    そんなとき男は 弱くはなれないものだ
    パトテロ 踊りの王(キング)
    あの女を いつも思い出すだろう
    今は笑っているけれど
    その笑いは ただ泣きたい気持ちなのだ
    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El pescante」(御者台)1934
    Letra : Homero Manzi (1907-51)
    Música : Sebastián Piana (1903-94)

    夜を 速足で駆ける 黒っぽい2頭立て
    嘲るような 見せびらかしの一鞭くれて
    虚勢を張った灰色の服*が馬車に乗り       *de gris 当時陸軍の制服の灰色がもてはやされたという
    コンスティトゥシオン通りの敷石道を行く
    左手の手綱に繋がれて
    人に馴れない赤毛の駒がおとなしくなった
    その赤毛の駒のように 沢山の女たち*が               *prendaここでは妻、伴侶、女性の意
    その男に求められて 鐙(あぶみ)*の下でおとなしくなった         *この行は難解だがfreno=controlと解せる

    さあ行こう!
    影と思い出を背負って
    さあ行こう!
    過去を横切って
    さあ行こう!
    ゆっくりした歩調(あしどり)で
    さあ行こう!
    忘れられた時に向かう道を
    古い いつもの通りのやり方で
    多分 何処かの町角で
    レネが呼んでいるから
    俺は情事(いろごと)のなかで
    愛とスイセ*に狂ったのだから  *suissé : 1800年代末から1900年に向かって流行したカクテル  アブサンがベース

    午後を 痩せた馬がゆっくりと歩く
    疲れた平手打ちで奮い立つことも無く
    最後の見せびらかしは上手く行かずに
    カジャオ通りの太陽の下を
    色褪せた鍔広帽子は
    もう古い歌を口笛に乗せることも無い
    愛も その男の心の馬車に乗る旅人も
    もう居ないのだから
    (H.Manzi の詩の中では難解なもののひとつとされる)           邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El sueño del pibe」(サッカー少年の夢)                 
    Letra : Reinaldo Yiso (1915-78) Música : Juan Puey (1903-95)

    貧しい家の戸を叩く
    郵便配達人の大きな声
    胸弾ませて駈け出した男の子 
    思わず白い子犬を踏んづけた
    母さん! 母さん!と叫ぶ声
    不思議に思って洗濯場を出た母親に
    泣き笑いしながら告げる男の子
    クラブ(*1)から知らせて来たよ 今日面接だ!   

    ねえ 母さん 僕 お金稼ぐよ
    バルドネド(*2)みたいになるよ
    マルチノ(*3)やボジェー(*4)みたいになるよ   
    西アルヘンティーノ(*5)の連中が言うよ
    僕があのベルナベー(*6)より沢山シュートを出すって
    サッカー場で僕のゴールに皆が拍手する
    母さんがそれを見る なんて素晴らしいんだろう
    僕は勝つんだ                    
    下のクラスで始めるけどすぐに一軍で 蹴るんだ   
    認められるのは分かってるんだ           

    その夜眠りについた男の子は
    この上なく素晴らしい夢を見た
    満員のスタジオ 華やかな日曜日
    とうとう一軍でプレーしている
    試合は零対零で 残り時間は1分
    ボールを取った 落ち着いて動く
    ドリブルで皆をかわした 
    相手キーパーに立ち向かう
    強いキック! 勝った!

    (*1) 入団したいサッカーのクラブ
    (*2,3,4) 1930=40年代のサッカーの有名選手の名前。 *3のマルティーノ(Rinaldo Fioramonte Martino) はタンゴを愛し、引退後は有名な ”Caño 14” の共同経営者になった)
    (*5)クラブの名前 
    (*6)これも有名選手の名前

    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El trompo azul」(青い独楽)
    Letra : Cátulo Castillo (1906-75) Música : Héctor Stampone (1916-97)

    私が昔持っていた
    弟みたいな青い独楽
    古い敷石飛び跳ねて
    町の左側を逆回り
    大きな門や垣根のある町を

    鉄の心棒の先端(さきっぽ)は
    ぶつけ合いのゲームでは
    負けを知らない大スター
    その一方で寝坊の独楽は
    その心棒の手の中で
    愛を夢見て眠るだけ

    遊びの好きな私の独楽よ!
    溝に住むコオロギの詩
    コオロギに何をあげようか
    お前の心と
    絶えず路地から聞こえる
    ビオリンの音色の他には

    だけど地球は廻ってる
    ぼんやりと 大きな空っぽの独楽のよう
    遥か彼方へ去りながら
    私たちを裏切った
    街角とジャスミン
    月と月の眼差し

    私の孤独が 青く汚れて
    年齢(とし)を忘れて帰って来る
    泥と敷石の この街へ

    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El último café」(最後の珈琲)
    Letra : Cátulo Castillo (1906-75)
    Música : Héctor Stamponi (1916-97)
    お前の想い出が風の中に蘇る
    秋の日の午後に 戻って来る
    私は氷雨が降るのを眺めながら
    珈琲のスプーンを掻きまわす

    あの最後の珈琲の想い出
    あのとき お前は冷たく
    ため息混じりの声で
    注文した
    お前に蔑まれたのを思い出す
    理由(わけ)も無く お前を思い出す
    居ないお前の声が聞こえる
    “二人のことは終わったの”と
    甘さと苦さの混じった別れを
    告げた声が

    珈琲みたいなものだな
    愛することも 忘れることも
    根拠(わけ)の無い恨みが生んだ
    最後の目眩(めまい)も
    そしてお前のつれなさに
    私は立ったまま死んで行った
    お前の虚栄心を推し量って
    その時自分の孤独を知った
    雨が降っていた 理由(わけ)も無く私はお前に
    最後の珈琲をどうかと勧めた
    邦訳:大澤 寛
    Torbellino : つむじ風・旋風、 (物事の)めまぐるしい動き・混乱・喧騒、 
    騒々しい人・落ち着きの無い人
    Desdén : 軽蔑・侮蔑・蔑み、  al desdén さりげなく・わざと無造作に
    Vértigo : めまい・眩み、 意識の混乱、 逆上・狂乱、 慌ただしさ・目まぐるしさ
    Rencor : resentimiento, aversión, enemistad,
    Hiel : 胆汁、 苦々しさ・不快・苦渋、 (pl)苦しみ・苦労・辛酸

    匿名
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    「El último organito」 (最後の手まわしオルガン*)
    Letra : Homero Manzi (1907-51) Música : Acho Manzi (1933- )
    *(「辻音楽師は行く」という先人の名訳あり)

    最後の手回しオルガンの泥に汚れた車輪が
    痩せた馬と 足萎えの男と 小猿と
    キャラコの衣装の女の子たちのコーラスを連れて
    黄昏の下町を流しながらやってくるだろう

    覚束ない足取りで月の光とバーの灯が混じり合う
    街角を探し当てるだろう 
    その街角の 聖像を飾る壁がんの裏側で 
    青ざめた公爵夫人と青ざめた公爵に
    ワルツを踊らせようと

    最後の手回しオルガンは 
    近くに住んでいた死んだ女の 
    愛するのに疲れたあの女の家に辿りつくまで
    門ごとに物乞いをして回るだろう
    そしてその家で あの盲目の老人を泣かせる
    タンゴを奏でるだろう カリエゴ*の詩に出てくる
    門口に座って煙草ばかり吸い続ける
    やるせないあの盲目の老人を

    最後の手回しオルガンには 
    白い箱が付いてるだろう
    そこから出るメロディーは秋の喘息のよう
    その箱は天使たちの顔で飾られていて
    出て来るピアノの響きは別れの言葉のよう

    その唄の後を追うようにブラインドを開けて
    家から出して貰えない娘たちが挨拶を送るだろう
    最後の手回しオルガンはどこへとも無く消えて行き
    下町の心は声も無く佇むだろう

    邦訳:大澤 寛
    *カリエゴという詩人の名前がタンゴによく出てくる。

    Evaristo Carriego (1883-1912)
     詩人。タンゴの作詞はひとつもしなかったが、下町の日常生活を描く詩の創始者として
    タンゴの歴史の中に地歩を築いている。この意味で、1930年に彼の伝記を書いたボルヘス(Jorge Luis Borges)の指摘によれば、“ブエノスアイレスの貧しい下町を観察する第一人者、即ち発見者・発明者”であった。カリエゴは1908年に“異端のミサ”(Misas herejes)
    を発表、そして死後1年経ってバルセローナで発見された“下町の歌”(Canción del barrio)
    がある。カリエゴの作品は多くのタンゴの作詞家たちに影響を与えたが、中でもオメロ・マンシ(Homero Manzi 1907-1951)に対しては、マンシが作詞したタンゴ“Viejo ciego”(盲目の老人)や“El último organito”(最後のオルガニート)が、この道の先輩カリエゴに直接捧げる形の献辞であることに見られるとおり、特別なものがある。
    (Horacio Salas “El tango, una guía definitiva” p-63 より)

    Tango “A Evaristo Carriego” instrumental   作曲Eduardo Rovira (1925-1981)

    匿名
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    「El último round」(最終ラウンド)
    Letra y música : Chico Navarro

    お前が歳ばかり取って
    生きることに疲れる時
    お前の夢が輝きを失くして
    居なくなったものたちのことばかり思う時
    恋するふたりが お前はそうしなかった愛を誓って
    吐息を付きながら傍を通るのを見る時
    町角でお前を見かけても
    もう女たちは 昔のようにお前を見ることも
    しなくなったと思う時

    馬鹿げてるぜ!
    どんな太陽のひとかけらにも
    どんな愛の夜にも
    どんな酒の酔いにも
    人生が急ぐのを見るのは

    馬鹿げてるぜ!
    時間は流れて
    最終ラウンドの前に
    試合放棄になるのを見るのは

    バーのカウンターで もう仲間もなくて
    最後のカードの賭けが終わって
    店の主人がピアノの蓋を荒々しく揺するまで
    タンゴをひとつ噛みしめながら お前が眠っている時
    通りにはもう一匹の犬も歩いていなくて
    お前は何もかも放っぽらかして
    ゴミ箱をゴミ箱を漁る乞食のように
    愛の残り滓を探し求めて彷徨う時

    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El viejo vals」 (あの古いワルツ)
    Letra : José González Castillo (1885-1937)
    Música : Charlo (1906-90)

    ショパンのけだるいワルツのリズムに乗せて
    お前に私の愛を告げた お前の気を引いたのは
    あのワルツだったのも知らずに
    だから今 私の唄は同じワルツのリズムで
    幸せがもう決して私の心に行き交うことがないのを
    嘆いている

    行きつ戻りつ火の周りを 狂い舞い飛ぶ蛾のように     falena : (昆虫) 尺蛾
    光にまみれて 運命を決める 
    かすかに甘い眩暈(めまい)に包まれて
    私の胸にはお前の乳房
    二つの心はひとつに脈打ちながら
    お前の冷たい眼差しは じっと騒がず澄んでいた

    お前が私のものというあの栄光の全ては
    私の狂った夢がワルツに告げた はかない最終楽章だったと
    誰が言えるだろう
    お前の手は素直に私の手の中に
    私の腕はお前の軽い腰を支え
    私の高まりは ワルツの緩い動きに消えてゆく       acento :どう訳すかの難所

    (2重唱)
    私の心も サロンの蛾(私の心も夢を見た)
    あの夢の翼(あの夢の翼)
    しつこく燃えた(しつこく燃えた)
    あのショパンのワルツを踊りながら

    情熱に酔い愛に盲いて お前の魅力を口にする
    お前の気を引いたのは あのワルツだったのも知らずに

    邦訳:大澤 寛  

    匿名
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    「El vinacho」(酔わなきゃ駄目だぞ)
    Letra : Julio Navarrine (1889-1966)
    Música : José Razzano (1887-1960)

    酒呑みの掟を破るんじゃないぞ
    カウンターに寄っかかって言うんだが
    強いワインに酔わなきゃだめだ なあ若いの
    赤で強ければ強いほどいい

    ワインの色なんぞで議論をするんじゃねえ
    酔った奴がやってきて 
    お前にこれは良い赤だと言ったら
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    馬で当ててほろ酔いで食堂に入ったら
    ケチな店でもましな店でも
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    ウイスキーはイギリス人に
    シャトーものは“ドクター”に
    女の子にはリカー
    グラッパは酔っ払いに
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    なにか悩んでる奴にはフェルネットが効くそうだ
    暑さにはビールだぜ
    子供には冷たいミルクさ
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    色恋沙汰に巻き込まれて
    好い女の子がお前にちょっぴり惚れてくれたら
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    流しが唄を唄わずに 
    警察署長でも“ドクター”でも
    ジンを呑む奴が居たら
    躊躇わずに軽蔑しろよ
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    お前がすこし疲れていて
    アクセルが効かずエンジンが掛らん時は
    どんなに頑丈な車でも駄目なんだ
    お前は酔わなきゃだめだ
    赤で強ければ強いほどいい

    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El vino triste」 (悲しい酒)
    Letra : Manuel Romero (1891-1954)
    Música : Juan D’Arienzo (1900-76)

    友達(なかま)は言う 俺の酒は悲しい酒だと
    俺はもう 酒に負けていると
    強いラム酒にも 雄(おとこ)の味にも
    もう耐えられない 怠け者だと
    そうなのだ なにもかも死んでしまったし
    グラスの底に沈めたいのだ 俺の恨みを
    いつも俺は酔っている お前に逃げられて以来(から)
    いつも俺は酔っている だけど辛いのだ

    友達(なかま)よ 
    皆 許してくれ 
    俺が 世をすねて 陰気で 
    すぐに泣くように見えるなら
    俺も 気持ちを抑えたいのだが
    つい抑えきれなくなる 男は皆そうだろう
    友達(なかま)よ 
    人間(ひと)は 心に苦しみがあるとき 酒が
    辛いものに 泣き言を言わせるものになるのは
    避けられないことだ 俺の唄が悲しく震えるように

    友達(なかま)は言う 俺はもとの俺でないと
    今は 飲めばすぐに黙ってしまうし
    自分をペシミズムに追い込んでしまうと
    もう長い間 俺が歌うのを聴かないと
    あいつ等には判らないのだ 酒のせいではなくて 
    俺が呼吸(いき)もできず 目も見えないことを 
    心の傷が血を流していることを そして俺が
    十字架を背負って 人生に立ち向かうことを

    邦訳:大澤 寛

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    「En carne propia」(己が身で)
    Letra : Carlos Bahr (1902-84)
    Música : Manolo Sucher (1913-71)
    お前は俺を傷つけた
    その傷の血は止まらずに
    お前に滴り落ちるだろう
    何時かお前も己が身に
    感じることもあるだろう
    今でも俺に襲い来る
    無情なお前の冷たさを
    お前の犯した罪の故
    復讐の手か裁く手か
    その手の拳が撃ちすえる
    拳の痛みの消えぬ間に
    多分その手はお前に返す
    俺に与えた苦しみを

    お前が一番愛した男から
    傷つけられることを知る
    声にならない苦しみを
    己が身で知ることだろう
    許しの慈悲を乞うたとて
    それは空しいことだろう
    その苦しみから逃げようと
    もがくのは無駄なことだろう
    金に困った人たちが
    払う小銭を何時の日か
    欠けた小銭を何時の日か
    お前に恵んでくれるだろう

    苦しみの重さを知る時に
    天に向かって膝まずき
    お前は身悶えて恵みを乞うだろう
    深い恐れを知る時に
    お前の悩みは果てもなく
    癒されることはないだろう
    お前は苦しみ膝まずき
    許されぬ狂った夜を嘆くだろう
    そして後悔に苛まれながら墜ちて行く
    俺がお前に墜とされたあの地獄へと

    邦訳:大澤 寛

    「A mis manos」や「Cicatrices」と似た世界。

    匿名
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    「En esta tarde gris」 (この暗い午後に)
    Letra : José María Contursi (1911-72)
    Música : Mariano Mores (1918-2016)
    (作詞のJosé María Contursi と作曲のMariano Mores もまた黄金コンビ binomio de oro である。 J.M.Contursi自身の恋愛遍歴4部作ともいうべきものがこの曲と「Cristal」「Grisel」それに「Cada vez que me recuerdes」であり、いずれもM.Mores の作曲)

    泣きたくなるぜ この暗い午後に
    雨の音が お前のことを告げている
    俺が悪いのだ 自分を責めるしかない
    俺のせいで もう決して お前!
    決して お前に会えないことへ
    目を閉じると お前が見える 昨日のことのように
    繰り返し 俺の愛を求めて震えるお前
    そして今 お前の声が 俺に帰って来る
    この暗い午後に

    来てよ
    いつも悲しそうにお前は俺に言ったものだ
    こんな孤独に
    私の心は耐えられない
    来てよ
    そして 私の苦しみを憐れんでよ
    もう私は疲れたのだから あなたを思って泣くことにも
    悩むことにも 待つことにも
    そしていつも 心に向かって
    独りごとを言うのにも

    来てよ
    こんなにあなたが好きなんだから
    今日 もし来てくれなかったら
    私は泣いて 涙で息が詰まるわ
    駄目だわ
    こんな生き方は出来ない
    私の中に 呪いのように刻まれた
    この愛を連れては
    俺には判らなかった お前が絶望していることが
    別の愛を求めて 俺は陽気にお前から離れた
    そしてこんなに離れて暮らして
    俺の過ちに気が付いたとき
    どれほど孤独で悲しくなることかを

    目を閉じると お前が見える 昨日のことのように
    繰り返し 俺の愛を求めて震えるお前
    そして今 お前の声が 私の中で血を流す
    この暗い午後に

    邦訳:大澤 寛

    “多分最もセンチメンタルなタンゴの詩人”(Holacio Salas 「El tango, guía definitiva」 から)と言われるJosé María Contursi は俗語・ルンファルドを使わなかった。1943年からの国語浄化運動の一環としてタンゴの歌詞にも検閲がかけられた。このことが俗語を使わずに格調の高い歌詞の書ける、教養のある作詞家たちを生んだとも言える。
    なお自身の恋愛・不倫の対象であったSusana Gricel Vigano とは後に結婚している。

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    「Ensueño」(夢)
    Letra : Homero Manzi (1907-51)
    Música : Antonio Sureda (1904-51)

    (語り)
    俺のまともでない人生の 或る場面に
    悲しそうな樹みたいに お前の影が立っている
    そして俺の心は その影の中にお前を思い出す
    お前が去(い)ってしまったあの日の午後から
    昔の俺たちの愛を思い出すと 俺には
    苦い嘆きの叫びが聞こえる 時々狂った目をして
    あの古い街を お前の躊躇いがちな足跡を
    幾度も追い求めるとき

    (唄)
    暗い気持ちの俺の日々に 愛の小さな星をくれたあの娘(こ)
    消えてしまった夜明けの光に刻まれたお前の優しさには 嘘は無かった
    俺は人生の魔法にかけられて 時々別の恋の小道に誘われるけれど
    懐かしい昔が 俺の心を悲しみで満たし お前の思い出が帰って来る
    今 以前(まえ)よりもっとお前を愛しているから

    あの愛で 俺たちの愛の巣が建てられた
    それなのに 二人があれほど誓って夢見たものを
    お前の死が 残酷に奪い去った
    暗い中庭に射す一筋の光のようだった鳥も もう唄わない

    俺の若い頃 優しい誓いをくれたあの娘(こ)
    青春の夢が もう枯れ始めていたときに
    貧しい暮らしの中で お前と出会ったのだ
    だから ふたりして愛を誓ったあの街の路地で
    昔を思い出すと 仕事場に向かったいつもの朝のように
    お前を夢見る気持ちが帰って来る

    邦訳:大澤 寛

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