ジャズ化したタンゴの行方

ジャズ化したタンゴの行方

 

 渋谷駅からSEIBU側に歩いて10分程のところに東京山手教会があるが、その地下1階に“公園通りクラシックス”というライブハウスがある。ひところは“渋谷ジャンジャン”という名前で一世風靡した店であったと言われている。ジャンジャンの頃のことはよく分からないが、現在の内部はステージも客席も板張りで(つまりオールウッド)で、タンゴの演奏に適した会場と言える。

 ここで2020年8月26日会田桃子とCUATROCIENTOSのライブが開催された。目下コロナ禍の折につき定員は平時の半分の20名とされたが、実に20名は来ていたので先ずは満席という盛況?であった。

 演奏は“Libertango”から始まり、“Por una cabeza”ついで、会田桃子作曲の“Milonga septima”と、まあ耳慣れた曲が出てきたが、その後は会田桃子自身の曲はもとよりピアノの林正樹とコントラバスの西嶋徹の曲も次々と披露された。そこで気が付いたのはいずれも、従来の4拍子曲ではなく、謂わばアストル・ピアソラ風のリズムを取り込んた楽曲であった。バンドネオンの北村聡はピアソラ曲は手馴れているので、十分こなしきっていた。また既存の楽曲も全て従来のスタイルではなく新たに編曲されたものであったが、いずれも言ってみればジャズ風に料理されていて、初めて聴く人には“これはタンゴか?”“ジャズではないのか?と疑われる感じのものであった。何しろクアトロシエントスの4名のジャズの演奏技量は極めて高く、本格的なジャズの曲を演奏させても十分聴かせるのではないかと思える。会田桃子自身が「私はタンゴのビオリン奏者として売ってきているけど、実は何でも屋なんです」と言っているくらいで、他のトリオやキンテートのライブでもジャズ化したタンゴを演っている。

 こうしたタンゴのジャズ化については「本来的なタンゴ愛好家」からは当然非難の声が上がる訳であるが、一方普段タンゴに接していない人達や初めてタンゴのライブに誘われて来た人達の間では、そうした不評はなく、「好い演奏を聴かせて貰った」と喜ばれている。つまり昨今のクアトロシエントスの演奏スタイルは、既に新しい世界に飛び込んでいると考えればよい訳で、良しあしというか好き嫌いは聴く者の判断に委ねることとなる。クアトロシエントスはここ数年毎年7月と12月に韓国に招聘され、ソウルで2千人規模の大ホールを一杯にする程の盛況だそうである。このようなことは日本ではおよそ期待できない現象であるが、多分韓国では厳しいジャンル分けはなく、好い演奏が聴けるなら何でも、というところなのかも知れない。

 一方日本では「タンゴというものはかくあるべし」とか「モダンジャズはかくあるべし」といったそれぞれの愛好家からの厳しい制約というか一種の枠嵌めのようなものがあり、その枠を越えることは中々難しいようである。その昔クラシックの声楽家が歌謡曲を歌ったところ非難轟々の目に遭ったという話を聞いているが、こうした感覚が今なおどこかに残っており、タンゴはタンゴ、ジャズはジャズという風にジャンルを超えることを良しとしない風潮はそうそう簡単に消し去るにはまだまだ時間が掛かりそうである。

 ただ、若い?演奏家はだれしもアストル・ピアソラの楽曲を難なく手掛けており、タンゴ以外の世界の楽曲も抵抗なく取り入れて編曲している。最初にピアソラを聴いて感銘を受け、その後4拍刻みの古典タンゴを聴いて、これも好しと思うようになったという若い人が沢山いる。レコード屋というにか楽器屋に行くとピアソラの曲の譜面は売っているが、本来的なタンゴの譜面は先ず入手できない。となると仮に若い人がタンゴを始めようとすればピアソラの方が手軽に入り込めることになる。

一方古典タンゴや伝統的なスタイルのタンゴを演奏するには現実問題として楽譜を何とかして入手しなければならない訳であるが、それがなければ所謂「耳コピ」で音を取った後自分で編曲することになる。その編曲であるが、若手演奏家の頭の中には既にピアソラ始めモダンタンゴのオトが入り込んでいるため、出来上がった編曲は必ずしも伝統的な4拍ではなく、何となくジャズ化したものになっている。

 さて、そうしたタンゴのジャズ化現象は今後益々続くことが予想される。ところが困ったことに、現在の日本ではタンゴを聴くのは高老年、演奏するのは40歳代を中心とした若手という現状であるから、若手演奏家が取り上げる楽曲、特に新たに編曲された楽曲に馴染めない高老年は、ライブに足を運ぶことはなく、従来通りのレココンで古典タンゴを鑑賞するということになる。そこには優秀な若手演奏家を応援するような一幕はないので、若手は自分たちで新しい形を生み出すべく進んで行かざるを得ない。そこでは4拍に拘るタンゴを模索しても限度があると感じ、4拍に拘らない形としてジャズの発想を取り入れた編曲を採用することになる。今後この傾向がどこまで進むか分からないが、これを頭から否定したのではタンゴの演奏そのものが先に進めないことは明らかである。