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大澤寛のタンゴ訳詞集

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    「El adiós」 (別れの言葉) (1937)
    Letra : Virgilio San Clemente (1905-77)
    Música : Maruja Pacheco Huergo (1916-83)

    光が薄れて影になる午後に
    私たちは あっさりと*別れた * buenamente : ここでは“あっさりと”の意
    お前は私の深い悲しみを知らず
    お前が立ち去るのに 二人とも笑っていた
    お前が行くのを見て 
    私の哀れな声は悲しみに震え
    幸せの夢は 別れの言葉に消えた
    空は私には暗くなった

    私の心は くぐもった声で 空しく 
    夜に向かって 苦しみを吐き出した
    深くて重い 沈黙だけが
    私の心で泣いていた

    時が過ぎても
    お前はいつも 私の中に生きている
    私たちが一緒に仲良く笑うのを見ていた野原が
    私に尋ねる お前を忘れることで癒されたかと
    そして 風の中に お前を探して
    私の嘆きが 谺になって消えてゆく
    一方でお前は 遠くで 誰かの腕の中で 
    誰かの唇付けを受けて その虜になっている
    そして人は私に言う お前は決して戻らないと

    再た春が来て 野原が色づくとき
    もう一度悩みと懐かしい思い出が
    私の心に満ちてくる
    鳥の囀りが辺りに拡がって
    空は明るさを増す
    だけど私の心は 影の中に生きて
    悲しみは翼になって お前を呼びに行く

    私の心は くぐもった*声で 空しく * velado/a : voz velada くぐもった声
    月に苦しみを告げるだろう
    そしてまた 私の心には 深くて重い沈黙が 
    泣きながら残るだろう

    邦訳: 大澤 寛

    匿名
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    「El aguacero」 (にわか雨) 1931
    Letra : José González Castillo (1885-1937)
    Música : Cátulo Castillo (1906-75)

    淋しい大地の広がりを 遠くへ遠くへと* *legua は昔の距離の単位 1legua = 約5572m
    前足で地面を掻く*ように歩く運命に逆らうように         *trenzar は馬術用語で“前足を掻くように歩む”
    きしんだ音を立てて 牛車は道を辿って行く
    白い卵の殻*を敷いたような道を                            *cascarrón の含意は不明

    牛車の車体がきしむ時
    それは嵐が来る予兆(まえぶれ)
    冷たい風が吹いて 荒れた土地が騒ぐ
    鳥たち*は騒いで 嵐は大きいと告げる      *hornero はセアカカマドドリ 馴染みが薄いので“鳥たち”とした

    そして 大草原(パンパ)は
    空から吊り下ろした
    太陽に向けて拡げた 緑のハンカチ

    人生が 時々 そうなるように
    影も無く 傷も無く
    悩みも 愛も無い

    峡谷(たにあい)から吹いて来る風は
    濡れた地面を喜ばせる

    そして 老いた牛飼いの歌には
    アンデスの冷たい風*が                     *pampero はアンデスからパンパに吹く冷たい西風
    悩みを吹いているようだ

    突然 嵐が来た
    そして雨は 
    際限(かぎり)なく拡げたカーテンのようだ
    牛たちは 埃っぽかった道で
    満足した声を上げる 歩き出したいと言うように

    鳥*の歌は                   *tero も鳥の名 タゲリの一種 これも馴染みが薄いので鳥として置く
    にわか雨への歓迎*の挨拶    *Bien haiga は俗語でBienvenido
    今はもう 道を辿る淋しさは それほどではない
    牛車の梶棒を握って 
    牛飼いは歌い出したくなる

    ランガライ* 背中が斑(まだら)の老いた雄牛                        *Langalay は牛の名前か?
    同じ苦しみを持つ
    押し黙った相棒*                           *aparcero は“小作人”だが道連れ・相棒・仲間

    俺たちは同じ頸(くび)木(き)で繋がれた
    歩いて 歩き続ける重い運命の道に

    何処へ行く? 斑の雄牛よ
    牛飼いに 後を追われないようにな!

    そして大草原(パンパ)は
    空から吊り下ろした 泣き出しそうな
    緑のハンカチ

    邦訳 : 大澤 寛

    匿名
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    「El barco María」 (マリア号)
    Letra : Horacio Sanguinetti (1914-57)
    Música : Carlos Viván (1903-71) 

    海の緑*の色をした
    君の瞳を曇らしてはいけない
    思い出は探さないように 海を眺めてはいけない
    あのマリア号は多分もう戻っては来ないのだから
    あの船長の夢を見て泣いてはいけない

    彼は星空の下で 君の名を船に刻んだ
    ずっと君を愛していた 別れの言葉も出せなかった
    幾つもの遠い海へ船を進めて
    何処の港に錨を下ろしたのか 誰も知らない

    あのマリア号は静かな夜に船出した
    船長は 愁いに満ちた眼をして 悲しく君に呟いた
    “忘れられないマリア 何時か必ず戻ってくる”と
    泣きそうだった
    あのマリア号は 汐に乗って去って行った
    そして君は独り残された 海で迷子になったように

    忘れなさい 彼が何時か微笑んで君に言ったことは
    海の緑**の色をした君の眼が好きだと
    忘れなさい マリア号の船橋(ブリッジ)で夢を見た夜のことは
    もう帰っては来ないのだから

    月に照らされた海を眺めてはいけない
    夜に海の悲しい唄を聴いてはいけない
    君の心の寂びれた波止場を霧で満たすような
    思い出を探してはいけない 

    *原文のaguaverdeは“クラゲ”だが“クラゲ色”では馴染み難いし、後半では**海緑色verdemarと言っているので訳文では海緑色に統一した
    邦訳:大澤 寛

    Aguaverde : クラゲ、ミドリクラゲ、
    Bruma : 霧・もや・ガス  pl.混乱・もやもや

    匿名
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    「El bazar de los juguetes」 (玩具屋)
    Letra : Reinaldo Yiso (1915-78)
    Música : Alberto Podestá (1924-2015) + Roberto Ruffino (1922-99)

    店のご主人 もうドアを閉めて下さいよ
    そんなに驚いて 俺を見ないで
    店に在るだけの玩具を全部買いたい
    そう 全部買います 幾ら費(かか)っても構わない
    払う金はあります
    一晩だけでいいから 俺はRey Mago* になりたい
    この場末の町の子供たちが 明日の朝 目を覚ましたら
    俺が恵んでやる この太陽のような楽しみを
    両手で握りしめるように

    子供(ガキ)の頃の俺は 玩具屋へ何度も出かけたものさ
    そこへ行って 店の外から ショーウインドウ越しに
    決して 自分の手には入らないものを
    只 眺めるだけのために
    俺の母親(おふくろ)は貧しくて 俺たちにパンを買う小銭にも困ってたんだ
    だけど 今の俺には出来る 運が付いたからさ
    遊ぶ玩具がひとつも無い子供がいないようにしたいんだ

    クリスマスイブに 贈り物は一かけらのパンだけというのが
    どんな気持か 俺は知っている
    通りの向こうでは 他の子供たちは 貰った玩具を庭に放り出していた
    どんなに安くてちっぽけな玩具も買えない 貧しい母親(おふくろ)が
    俺にくれたのは 優しい唇付けだけだった
    だから今 俺は玩具を買うんだ だから それだけだよ

    邦訳:大澤 寛

    bazar : ここでは、特別な日に開かれるバザーのことではなく、普通の店を指す
    Rey Mago : 普通は複数で ”Reyes Magos” 或いは単に ”Magos”。キリストの生誕を祝って宝ものを持って訪ねて来る“東方の3賢人” のこと。現在でもカトリックの国々では1月6日が祝日= ”El día de Los Reyes Magos” で子供たちに玩具などを贈る習慣がある。日本語訳としては“偉い魔法使い”くらいでも良いだろうが、この歌詞の中では訳語として長いので原語のままにして置いたもの。

    匿名
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    「El bulín de la calle Ayacucho」 (アヤクーチョ街の小部屋)
    Letra : Celedonio Esteban Flores (1896-1947)
    Música : José Servidio (1900-67) y Luis Servidio (1895-1963)

    邦訳の対象とした歌詞の歌われている順序はガルデルが1925年12月25日にBarcelona ODEÓN に収録したもの。
    (todotangoに収録されている) 訳詞には便宜上番号を付けた。この順番で歌われていないものがあるため。


    アヤクーチョ街で借りていた小部屋
    俺が遊び暮らしていた頃の
    夜になると 仲間たちが
    賭け事をやりに来たものだ
    大勢の若者が 
    長い貧乏暮らしの中で パンとベッドに
    あり付いたその小部屋は
    怒って 泣いているように見える

    灯油を使う湯沸かし器*は                   primus : 灯油を使う湯沸かし器の商標だったのだろう
    いつも俺に強い酒をくれたものだ
    そして熱い湯があると
    マテ茶が鎮座していた*ものだ       el mate era allí señor : マテ茶がその場の主人公だったということか
    何時も必ずギターがあった
    上手く弦が張られて 綺麗に磨いてあった
    そして誰かが必ず 鼻に掛った声で
    女たらしの恋歌を歌っていた

    あの共同(な)住宅(がや)の奥の
    絨毯も無い 贅沢なものもキラキラしたものも無い
    貧しく散らかった小部屋
    ここで俺はどれほどの楽しい日々を過ごしたことか
    俺のものだった 甘えん坊の 真面目な女の子の
    熱い愛を受けて
    その娘(こ)は 冬の 嫌な或る晩
    ひと飛びに空へ去って行った

    何もかもが 人生が俺を苦しめる
    想い出なのだ
    だから俺は 人生を
    賭け事と 愚かな 淋しがりやで過ごしたのだ

    仲間たちは離れて行った
    俺がこんなに悩むのを見て
    そして俺は 悩みを詰め込んで
    この部屋で過ごしたのだ

    アヤクーチョ街で借りていた小部屋
    貧しく 寂れて 今もある
    だけど もうあの夜遊び人の歌い手が
    間違えて調子を合わせるのを聴くこともない
    そして そこに仲間が喜んで集まった
    あの湯沸かし器がマテ茶を沸かすこともない
    そして あの馬鹿騒ぎをした男は
    泣いて涙が枯れている

    邦訳:大澤 寛

    rana : individuo divertido
    timbear : jugar por dinero
    racha : ひと続き・一連  una racha de éxitos
    marroco : (ル)= marroque = pan
    gangoso : 鼻声の・鼻にかかった hablar gangoso
    mistongo : (ル)= humilde, pobretón, muy pobre casi miserable
    cabrero/a : persona de mal character, enojadiz // disgustado, enojado
    rante : = atorrante = se aplica personas y cosas, fuerte connotación despectiva
    empollar : (ス)詰め込み勉強する・ガリ勉・猛勉強する  ここから“詰め込む”
    pava : マテ茶用の湯沸し・薬缶

    匿名
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    「El carillón de la Merced」 (メルセー寺院の鐘)
    Letra : Enrique Santos Discépolo +Alfredo Le Pera (1904-35)
    Música : Enrique Santos Discépolo (1901-51)

    どんな不思議な理由(わけ)なのか
    メルセー寺院にある
    サンティアゴの鐘よ
    お前の変わらぬ音(ね)の中に
    私は気付いた
    私のさすらいの声に
    癒されぬ旅人の
    忘れたがっている声に

    嘆きが齎(もたら)してくれた
    旅するものの奇跡
    お前の歌は 私に似て
    生きることに疲れて
    何処で死ぬかも知らずに
    流れて行く

    お前は 私の心の秘密に
    入り込んだ
    お前の音を聴きながら 
    私は思わずあの娘(こ)の名を呼んだのだから
    こうして今 お前には判るだろう
    誰だったのか 私の何だったのか
    私が泣きながら探していて
    見付けられないものが

    私の古い身の上話を
    鐘よ お前に置いて行こう
    お前が鳴る時 そこに残される
    そして 私が再た立ち去るときは
    お前の思いを連れて行こう
    別れの言葉にして
    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El choclo」(1946)
    Letra : Enrique Santos Discépolo (1901-51)
    Música: Ángel Gregorio Villordo (1861-1919)

    嘲笑(からか)うような 不良っぽい このタンゴが
    俺が住む場末の町から 飛び出そうとする野心に
    2枚の羽を付けてくれた 
    タンゴってものは このタンゴから生まれたのだ
    叫ぶように この汚ない場末の泥濘(ぬかるみ)から 
    空の高みを求めて 飛び立った
    愛をリズムに変えた 不思議な呪文が
    ひたすら希望だけに縋(すが)って 道を開いてくれた
    怒りと 苦しみと 信仰と不在の混じり合いが
    ふざけたリズムの 無邪気さの中で泣きながら

    タンゴよ お前の禍々(まがまが)しい調子が奇跡となって
    それとは知らずに 娘も女も生まれて来たのだ
    水溜まりの月 腰を揺らしたカンジェンゲの踊り
    愛し方には 激しい渇望(かわき) 

    なあタンゴよ お前を呼ぶと
    踊りで敷石が揺れるのが判る
    昔の俺の繰りごとが聞こえる
    今はもうお袋は居ないけれど
    俺に唇(くち)付けをしに爪先歩きで
    来て呉れそうな気持ちになる
    バンドネオンの音色に合わせ
    お前の歌が生まれる時に

    カランカンフンファ*は        *タンゴの下町風の踊り それを上手く踊る人を指す仇名
    タンゴの旗を掲げて海に向かった
    そしてペルノー*の中で        *流行していたアプサン酒 製造元の名前がそのまま酒の名前
    パリとプエンテ・アルシーナをかき混ぜた
    タンゴよ お前は女たらしや娼婦の従兄弟*     *compadre や comadre には別の意味もある
    その上 金持ち気どりの男や 金が目当ての娘の仲間
    お前のために タンゴよ 気取り屋も タレこみ屋も
    仕事もしないあぶれ者も 貧乏人も
    お前の運命と一緒に 産声を上げた
    安アパート*1で 俺の心で燃え盛った
    割烹着の女*2と 安酒*3と 刃物の傷*4と
    ナイフのミサ
    (*1 conventillo)初期の移民たちが暮した集合住宅。
    (*2 falda)基本的な意味はスカートだが、ここでは貧しい女性たちが身に付けた襞など装飾性の無いスカートを指すのだろう。faldaにはスカートの他に“女性の膝”、複数形faldas は“女性”を意味する。
    (*3 querosén) 灯油のことだが、ルンファルドでは最低の品質の・酔うためだけのアルコール飲料のこと。ワインを指すこともある。
    (*4 cana) 白髪のことだが(“Milonga que peina canas”)ルンファルドでは様々な意味に使われる。警官、監獄、警察
    署、タレこみ屋など。ここでは喧嘩などでの刃物による傷。

    邦訳:大澤 寛

     現在は殆んどの歌手がこのDiscépolo 作詞のものを歌うが、Discépolo に先立って1930年にマランビオ・カタン (Juan Carlos Marambio Catán 1895-1973) が作詞した別の歌詞がある。作曲者Ángel Villordo (1861-1919) の遺族で相続人であるIrene Villordo de Corona の要請でMarambio Catán が作詞したもの。
    ディセポロ(Enrique Santos Discépolo 1901-51) がこの歌詞を作詞したのは歌手のラマルケ (Libertad Lamarque 1909-2000) の要請によるもの。1947年にメキシコで上映された映画「Gran Casino」の中で歌うためだった。既に1930年に作詩をしていたマランビオ・カタンとの間に煩雑な係争が生じた。仲介する人物(アルフレド・ペロッティ Alfredo Perroti 1893-1970)があって1947年4月23日に解決に至る。これによりラマルケはディセポロ作詞のEl chocloを映画で歌うことが可能になった。(以上はJosé Gobelloの「Letras de Tango, Selección 1897-1981 p/280 から」

     ディセポロはこの歌詞で何を語ろうとしたのだろうか?
    タンゴの誕生。汚ない下町。ヨーロッパからの移民の下層階級の人々の暮らし。そこから抜け出したいという願望。そしてタンゴがヨーロッパに伝わったことを“パリとプエンテ・アルシーナをかき混ぜた”という言い方で表している。そしてタンゴがイメージとして持つ本質的なものとは、やはり安アパート(上記*1) 、割烹着の女たち (同*2)、安酒(同*3)、刃物の傷(同*4) そしてナイフだということなのだろう。

    Burlon/na : からかうような・人を侮った・ふざけた  おどけ者・冗談好き
    Compadre : よたもの・やくざ者
    Sordido : 不潔な・汚ない・むさ苦しい
    Barrial : (ラ米)沼地・ぬかるみ
    Conjuro : 懇願・嘆願、まじない・呪文、悪魔払い・悪魔よけ
    Rabia : 激しい怒り・激怒・憤怒、  狂犬病
    Agorerro : 縁起の悪い・不吉な・凶兆の  ave agorero
    Paica: (ル)muchacha/mujer joven, concubine,
    Grela : (ル)mujer/mujer joven, mina
    Charco : 水たまり
    Fiero : 獰猛な・野生の、猛々しい・恐ろしい、残忍な・冷酷な (pl.)虚勢・空威張り
    Puntas de pie : 爪先、bailar de puntas つま先で踊る
    Puntapié : つま先蹴り・つま先による一撃
    Gavión :(ル)conquistador de mujeres
    Bacán : (ル)hombre antonomásticamente, dueño de mujer, a la que explota,
    hombre rico, pudiente
    Tajo : puñalada, cuchillada, herida de arma blanca, civatriz que queda en una herida de ese tipo
    Querosén : (ル)安酒、質の悪いワイン

    匿名
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    「El circo se va」(1925)(サーカスは去り行く)
    Letra : José González Castillo (1885-1937)
    Música : Cátulo Castillo (1906-75)
    ゆっくり 悲しく のろのろと
    絵を描いた荷馬車が 列を組んで
    行きたくなさそうに もう去(い)ってしまう

    或る日 あんなに楽しさを運んで来た
    その同じ楽隊(バンド)の音が 今日はとても悲しく響く
    行くのは嫌だと言うように

    何処でテントを張るのかな?
    もう一度一緒に笑えるのは何時だろう?
    サーカスはいつも流離(さすらい)の旅
    片言の英語を話す あのピエロを連れて
    楽しく響く楽隊(バンド)の音
    色とりどりの光りと花火
    町は静まりかえっている
    心を無くしたみたいに

    サーカスは去ってしまった 町は歳をとって
    憂鬱(うれい)に沈んでいるようだ
    サーカスが連んで来た 只ひとつの 子供の頃の何かが 
    サーカスと一緒に 永久に去(い)ってしまったように思えるからだ
    逞しい筋肉を輝かせる若者も 
    ひょうきんなクラウンと言い争うピエロも
    未だ幼い身体つきで 驚く私たちの前で 得意げに踊った
    あのぽっちゃりした女の子も

    ゆっくり 悲しく のろのろと
    とても 行きたくなさそうに
    荷馬車は隊列を組んで去ってしまう
    あの演しものの名残のように
    楽隊(バンド)の音が別れを告げる
    悲しみの他には 何も無い
    サーカスが 別れに残して行くものは                             邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El corazón al sur」(南へ向かう心)
    Letra y música : Eladia Blazquez (1931-2005)

    私の生まれた町では 贅沢なんかは賭けみたいなものでした
    ですから私の心は 南へ向かうのです
    父親は 巣箱に蜜を運ぶ働き蜂
    悪いことはしない 綺麗な心の持ち主でした
    そうした幼い頃に 私の控えめな気質が造られました
    その後の人生は 私に沢山の進むべき道を用意してくれました
    そして大金持ちになることや ペテン師のことも判りました
    ですから私の心は 南へ向かうのです

    私の町は ジャスミン畠のようでした
    庭にいる母親の姿 とても質素な優しいお祭り
    太陽の方を向いたグラミージャ*の平和な眺め
    私の町は 今は居ない私の人々なのでした
    こうしたものは もう決して戻って来ません
    夢と十字架を抱いて 私がそこを離れた日から
    私の心は南へ向かっているのです
    * gramilla (ラ米) 植物  スズメノヒエの1種
    私は 私の町の隅々までを心に抱いています
    この町の何もかもから 私の心が離れてしまったのではありません
    覚えていますよ 町かど 雑貨屋 子供たち みんな何かしら私のものなのです
    現実には そうしたものたちから私は遠く離れています
    それでも私は お金の世界から離れて 幼い頃に戻り
    あの大切な町にいます いつも南へ向かう心を抱きしめて

    邦訳:大澤 寛

    社会派的な作風の多いE.Blázquez が素直に親と故郷の町を讃える美しい作品。この歌は、タンゴでは珍しいことだが、家庭のために働く父親への賛歌となっている。

    匿名
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    「El curda」 (酔いどれ)
    Letra y música : Francisco Floreal García + Francisco Lafémina + José Zas Hache

    何が構うものかい 年を喰った飲んだくれと言われたって
    何が構うものかい 酔っ払いだと噂をされたって
    誰も俺の悩みに構ってはくれないだろ
    俺だって 誰にも話はしないんだが
    いろいろ言われるけど 俺は気にしない
    そう 正直言って 気が付かないんだ
    そして俺は 別の仲間たちと煙草と酒に
    時間を潰しながら 日を暮すんだ

    寂しい どうでもいい夜には
    どこかの飲み屋のカウンターに心を預けて
    酔いどれが静かにしているときには
    下司な連中に花など持って来させないでくれよ
    酔いどれの動かない身体に 偽善者たちが
    泣きながら集まってくるなんぞは真っ平だ
    ぼやきながらこの世からおさらばしても
    そんな死にかたには 慰めなんかはいらない
    残された仲間たちが 俺の心の毒を抜き取ってくれるとき
    タンゴで別れを告げて呉れよ 
    この酔いどれが 踊りながら地獄へ辿りつけるように

    何が構うものかい 年を喰った飲んだくれと言われたって
    何が構うものかい 酔っ払いだと噂をされたって
    誰もこの世で 俺に手を差し伸べては呉れなかったし
    俺が頼りにしたのはいつも酒だったんだ
    どうして俺が誰かに悩みを打ち明けないといけない?
    飲みながら時間を潰す他に どんな夢がこの世にあるというのだ
    雄(おとこ)の、男っぽいタンゴこそが人生なのだ

    邦訳:大澤 寛

    匿名
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    「El curdela」(酔っ払い)
    Letra:Jorge Alfredo Luque Lobos (1894-1963)           
    Música : Juan Maglio (Pacho) (1880-1934)
    あちこちの居酒屋のテーブルで
    俺の悲しみが酔いに沈んでゆく
    雑草にまみれて少しずつ
    枯れて行く花みたいに
    世間(ひと)からは酔っ払いだと言われている
    酒に酔うと俺には*ペルノーの緑色に浮かんだ
    恋に輝くあの女の顔が見えるのだ
    世間(ひと)はそんなことは知らないが

    ペルノーを一杯早く呉れよ
    満たされたグラスの底に
    あの女の目を見たいのだから
    俺の悲しみが泣かないように
    あの目の輝きを探し求めるから
    ペルノーを一杯呉れよ
    狂った心を再た目覚めさせようと
    俺の唇づけを求めて
    あの眼差しが悲しく輝くのが
    俺には見えているのだ

    ぺルノーをもう一杯頼む
    悲しみに狂い 嘆くのに飽きて 
    泣き笑いしながら
    俺は酔いに沈みたいから
    ペルノーをもう一杯頼む
    俺の高笑いは 泣き過ぎて声が涸れている
    俺の愛の苦しみはもう消されることはない
    邦訳:大澤 寛
    *curdela : (ル)= borracho
    *Pernod : アブサンと数種のハーブを配合したリカー。1800年代の終わりから1900年代の初めにかけて
         流行した。名前の Pernod はメーカーの名前をそのまま付けたもの。
    「アブサンの文化史」という本が白水社から今年(2017)1月に刊行されている。挿絵や図版が多く読みやすいもの。

    匿名
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    「El día que me quieras」 (想いの届く日)
    Letra : Alfredo Le Pera (1904-35)
    Música : Carlos Gardel (1890-1935)

    あなたの吐息の優しさが
    私の夢を撫でている
    人生がどんなに
    微笑(わら)いかけてくれるだろうか
    あなたの黒い瞳(め)が
    私を見詰めてくれるなら
    歌うような あなたの軽やかな笑い声が
    私を包んでくれるなら
    私の心の傷は癒されて
    何もかも忘れてしまう

    何時(いつ)かあなたが 私を愛してくれる日には
    色鮮やかな薔薇は その色を際立たせ
    祭りの衣装(よそおい)に 身を包むことだろう
    風に鳴る鐘は あなたは私のものだと
    告げるだろう
    泉の水は 狂ったように
    あなたの愛を 私に語りかけるだろう

    何時かあなたが 私を愛してくれる夜には
    星たちは 私たちが歩くのを
    蒼い空から 羨ましそうに眺めるだろう
    そして 不思議な光りが差して
    あなたの髪に宿るだろう
    不思議そうにしているホタルにも 判るだろう
    あなたが私に安らぎをくれるのが

    何時(いつ)かあなたが 私を愛してくれる日には
    あるのは 心地よい調べだけ
    夜明けは明るく 泉は楽しげに
    そよ風は静かに 快い音のそよぎを運んで来るだろう
    泉の水は私たちに 水晶の歌をくれるだろう
    何時(いつ)かあなたが 私を愛してくれる日には
    歌う小鳥は 声を甘く和らげるだろう
    人生は華やいで 悩みは消えるだろう

    何時かあなたが 私を愛してくれる夜には
    星たちは 私たちが歩くのを
    蒼い空から 羨ましそうに眺めるだろう
    そして 不思議な光りが差して
    あなたの髪に宿るだろう
    不思議そうにしているホタルにも 判るだろう
    あなたが私に安らぎをくれるのが

    邦訳:大澤 寛

    “想いの届く日” という日本語タイトルはうっとりするような先人の名訳。
    そしてこの ”El día que me quieras” というフレーズはタンゴでスペイン語の接続法を学ぶ際の好個の例文になる。あなたが私を愛してくれる日、それは未だ起きていない将来のことで、しかも本当に愛してくれるかどうかは未だ判らないという不確実性。こうした気持ちを表現するのが接続法の使い道のひとつ。

    匿名
    無効

    「El encopao」(酒浸り)
    Letra : Enrique Dizeo (1893-1980) Música : Osvaldo Pugliese (1905-95)
    他人(ひと)からは言われる 俺は“酒浸り”だと
    俺に何があったのか知らない他人(ひと)からは
    他人(ひと)には誰でも同じこと
    言いたいことは言わせて置こう
    俺には別に害はない
    他人(ひと)からは言われる 俺は“酒浸り”だと
    俺みたいに生きてると
    誇りも捨てるものだと
    そんなことを言う他人(やつら)には
    判りもしない
    酒に怒りを鎮める男には
    正しい理由(わけ)のあることを

    要するにあの女にしてみれば
    あの角の酒場に入り浸りの
    俺のような生き方をしようが
    どうでもいいことなのだ
    あんなに綺麗だったのに
    それを忘れてしまって
    要するにあの女にしてみれば
    夜も昼も 昼も夜も 
    カニャ酒と思い出に酔い痴れる
    俺のような生き方をしようが
    どうでもいいことなのだ
    一生をかけたそれが俺の愛なのだ

    他人(ひと)からは言われる 俺は“酒浸り”だと
    嘘ではない 俺は道を誤まっている
    全ては俺に悩みと影の刻印を押した
    あの浅黒い肌の女のせいだ
    他人(ひと)からは言われる 俺は“酒浸り”だと
    だけど誰も俺とは勝負しようとしない
    男たちは出会って そして互いに向き合い
    勇気を試すものなのだから 邦訳:大澤 寛

    匿名
    無効

    「El gordo triste」 (嘆きの太っちょ)
    Letra : Horacio Ferrer (1933-2014)   Música : Ástor Piazzolla (1924-1992)
    ポマードをつけた雀みたいな詩人風の外見のせいで
    隠してあった料理を見つけた猫みたいな声のせいで
    謎めかしたワインが彼の眼を撫でるし 悩みが彼の襟元にも
    星たちにも香りを送る

    彼の指に留まる悪戯な鷲が 
    夢の最中の息子たちに呼びかけて
    涙を一杯ためた風みたいに泣かせようとする!
    誰もがするようにミロンガや葬送の歌を歌わせようとする!

    大天使と悪漢の腕の中から 
    ふたつの水溜りみたいな眼鏡をかけて
    静かな橋みたいなピチューコ*は       *高名なバンドネオン奏者Aníbal Troilo の愛称
    藤の花が誰のために嘆いているのか調べに行く

    毎晩死んでるのだから 
    彼には 決して本当の死は来ない
    星たちは 決して彼には気を抜かない
    市場でミサを行うようなピチューコには

    この男はどんな難解なルンファルドから抜け出して来たのだろう 
    一本の燐寸で 積もる不幸を見て来た男
    捩れた譜面台に まっすぐ向かって行く男
    暗い夜の犬たちに 集まる広場を作ってやる男

    彼ほど 立ち枯れる木々の悲しみを抱いて
    徹夜の朝に慣れたポルテーニョは決して居ないだろう
    誰がこの血を継げるだろうか? 他に無いこの血を
    そうなのだ 仕事も生き方の全ても誰が真似ることが出来るか?

    下町の兄貴分として 
    彼は 他人の誰にも気前良くして来た
    時代もまた寛大なのだ そうは見えないけれども
    中庭みたいに大きな手のピチューコには
    そして今 水は静かに流れ
    彼のバンドネオンの中で 子供たちは歌う
    思い出に 夢に 命に 素晴らしいGordo*!  
    我々に慕われて 我々に
    *gordo は“デブ”“太っちょ”の意でこれもAníbal Troilo の綽名
    邦訳:大澤 寛

    匿名
    無効

    「El huérfano」(孤児)1922
    Letra : Francisco García Jiménez (1899-1983)
    Música : Ancelmo Aieta (1896-1964)

    私は 恋人の墓の前で
    歩みを止めて この一節を
    花を捧げるように 残して行こう
    そして 吹く風に私の声を預けよう
    風が別れの言葉を運んでくれるから

    或る日お前は 恋人よ
    私の歩む道と交差した
    私は 暗い 宛ても無い人生を
    歩んでいた
    母親は既に亡く
    その優しく気高い愛は
    永久に失われて
    私の運命には影が差していた
    私に残されたものは無く
    私は泣き疲れていた

    あの頃 お前に出会い
    お前の瞳に何かを見た
    幸せと夢を連れて来る
    オーロラのように輝く瞳に
    お前の瞳は裏切らなかった
    苦しむ私の願いを
    お前は 私の人生の
    清らかで優しい愛の対象だった
    ただ一度だけの
    心の底からの愛の

    それなのに今 お前は私を捨てて行く
    私の傍から離れて行く
    私を夜に沈める
    こんなに寒い 悲しみの夜に
    私は 哀れな慎ましい衣装で
    再た喪に服する
    お前が昨日出会った悩める孤児(みなしご)は
    今日も孤児のままで
    お前の愛を欲しがっている

    邦訳:大澤 寛

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