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「Naranjo en flor」(花咲くオレンジの木)
Letra : Homero Expósito (1918-87)
Música : Virgilio Expósito (1924-97)
水よりも 柔らかな水よりも柔らかく
川の流れよりも 清らかだったあの娘(こ)
花咲くオレンジの木よ
あの夏の町に 今は無い街に
人生の一(ひと)欠片(かけら)を残して
行ってしまった
人は始めに悩むことを知らなければならない
その次に愛すること 又その次に別れることを
そして最後に 何も考えずに歩くことを
花咲くオレンジの木の匂い
風に乗って逃げて行った 空しい約束の数々
そして次に、、、 その次なんかどうだっていい!
私の人生なんて みな過ぎたこと
私を過去に繋ぎとめる
永遠の 老いた 青春
私を 光りを失った小鳥のように怯えさせた、、、
私の手は あの娘(こ)に何をしたのだろう
何をしたのだろう
私の胸に あんな苦しみを残して
古い木立の苦しみを
街角の唄 人生の欠片(かけら)
花咲くオレンジの木
邦訳:大澤 寛
Estío : = verano (文語)
Alboleda : 木立、林、小さな森
タイトルには「花咲くオレンジの木」という先人の綺麗な邦訳がある
この曲でのHomero Expósito の詩は、言葉遣いは平明だが、内容は深いものがあるのだろう。
第1連の冒頭の era の主語は何か? 後に続く形容詞が blanda, fresca という女性形だから男性名詞のNaranjo ではない。同じ主語がdejó, se marchó と続く。
そして第3連の ¿Qué le habrán hecho mis manos? の le は誰・何を指すのか。恐らく第1連の era の主語と同じもの、即ち“別れた彼女・あの娘”と解釈するのが妥当だと思われる。
habrán hecho は現在完了 (han hecho) への推量